大判例

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東京地方裁判所 平成9年(特わ)325号 判決 1998年9月01日

主文

被告人を懲役一年六月に処する。

この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収してある金地金一個(平成九年押第一八五一号の1)を没収する。

被告人から一七四万一九二四円を追徴する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

【罪となるべき事実】

被告人は、平成三年六月二八日関西国際空港株式会社(以下「関空会社」という)の代表取締役社長に就任し、関空会社の代表取締役社長として、関西国際空港施設の管理等の関空会社の業務全般を統括するとともに、関空会社が関西国際空港施設の維持管理、環境衛生管理及び清掃等の業務を行わせるため資本金の半分以上を出資して平成五年七月三〇日に設立した関西国際空港施設エンジニア株式会社(以下「施設エンジニア」という)に対して、関西国際空港施設の管理のため必要な事項を指示するなどの職務に従事していたところ、

第一  関空会社において施設エンジニアに委託して行う関西国際空港旅客ターミナルビル(以下「旅客ターミナルビル」という)の清掃業務について、Aの知人B経営の大幸工業株式会社が元請業者のもとで下請業者として選定されるようにするなど好意ある取り計らいを受けたことの謝礼の趣旨及び今後も同様の取り計らいを受けたい趣旨並びに関空会社においてA経営のジェイ・アイ・コンサルティング株式会社が開発する予定であった防犯用特殊ゴミ袋の使用を検討するなどの好意ある取り計らいに対する謝礼の趣旨のもとに供与されることを知りながら、Aから、平成六年四月一一日、京都市東山区八坂新地末吉町<番地略>の料亭「富美代」において、酒食遊興の接待(一人当り七万三七五一円相当)を受けるとともに、化粧箱入り金地金一個(三〇〇グラム、時価四二万三三三〇円、平成九年押第一八五一号の1)の供与を受け、

第二  前記のとおり旅客ターミナルビルの清掃業務の下請業者の選定について好意ある取り計らいを受けたことの謝礼の趣旨及び今後も同様の取り計らいを受けたい趣旨のもとに供与されることを知りながら、Aから、平成六年一〇月一七日、前記「富美代」において、酒食遊興の接待(一人当り一二万九〇三七円相当)を受けるとともに、鍋井克之作の絵画一点(作品名「牡丹」、時価一〇〇万円相当、同押号の2)の供与を受け、

第三  前記第二記載の趣旨のもとに供与されることを知りながら、Aから、平成七年一〇月三日、同区新宮川町通松原下る西御門町<番地略>の料亭「小澤」において、酒食遊興の接待(一人当たり五万三一七三円相当)を受けるとともに、現金三〇万円の供与を受け、

第四  前記第二記載の趣旨のもとに供与されることを知りながら、Aから、平成八年四月一一日、同区八坂新地末吉町<番地略>の料亭「美の八重」において、酒食遊興の接待(一人当たり八万五九六三円相当)を受けるとともに、額面合計一〇万円分の商品券の供与を受け、

もって、その職務に関してわいろを収受した。

【証拠】<省略>

【争点に対する判断】

(被告人、弁護人の主張)

一  被告人の主張

被告人は、Aが関西国際空港プロジェクトの地元の応援者の一人として折に触れて自分の苦労をねぎらってくれるという認識で、Aと付き合いをしてきたのであり、Aからものを頼まれたことはなく、関西国際空港プロジェクトに関連して、Aのため好意的な取り計らいをしたことはなかった。

二  弁護人の主張

以下の理由から、被告人は無罪である。

1  被告人は、Aから本件各接待を受け、また本件各金品を供与された際、それらがわいろであるとの認識は全くなかった。

2  大幸工業株式会社が旅客ターミナルビルの清掃業務の下請業者として採用されたのは、Aの働きかけがあったからではない。被告人は、Aからそのような働きかけをされたことはなく、Aの意向に沿った行動をしたこともないのであって、被告人がAに対して好意ある取り計らいをしたことはなかった。

3  被告人は、Aから防犯用特殊ゴミ袋の話を受けた記憶はなく、関空会社が、Aのために防犯用特殊ゴミ袋について好意ある取り計らいをしたことはなかった。また、Aは、防犯用特殊ゴミ袋について、被告人や関空会社から好意ある取り計らいをしてもらったという意識を全く持っていなかった。

(当裁判所の判断)

第一 関係各証拠から明らかに認定できる事実

一  大幸工業が旅客ターミナルビルの清掃業務の下請業者になった経緯

証拠欄2ないし8、11ないし16、25記載の各証拠、被告人の検察官調書(乙四)、A(甲七三、七四)、C(甲六五)の各検察官調書謄本等によれば、以下の各事実を認定することができる。

1  関空会社は、平成五年四月一四日の役員会において、子会社を設立して、子会社に関西国際空港の施設の維持、管理を行わせる方針を立て、同年七月三〇日、そのための子会社である施設エンジニアを設立した上、同年九月八日の役員会において、旅客ターミナルビルの清掃業務については、施設エンジニアから民間業者に発注することとし、その民間業者(以下元請業者という)の選定は、応募業者から提出される実施計画やコストについての提案書を審査して行う、いわゆるプロポーザル方式によって行う方針を立てた。

なお、関空会社は、地元対策として、地元との共存共栄を標榜していた上、関西国際空港施設の清掃業務について、地元の業者から受注のための働きかけを受け、地元の自治体からも地元の業者を使うように申入れを受けていたが、旅客ターミナルビルの清掃業務の元請業者には、高度な技術と実績がある大手の業者を選定しなければならないこともあって、地元雇用についてどのように対応すべきか苦慮していた。

施設エンジニアは、同年一〇月四日、旅客ターミナルビルの清掃業務を発注する業者を募集し、D関空会社施設部長、E施設エンジニア施設部担当取締役らが、応募してきた業者から二〇社を選定した上、プロポーザル方式による審査を行い、元請業者として六社を選定し、関空会社の施設部担当の常務取締役であり施設エンジニアの役員を兼任していたCを経由して、施設エンジニアの代表取締役を兼任していた被告人の決裁を受け、平成六年一月七日、選定された六社に対して準備打合会に出席を求める案内を送付した。

2  Bは、産業廃棄物の処理等を行っている大幸工業を経営しており、かねてから大幸工業にいて旅客ターミナルビルの清掃業務などの関西国際空港の仕事を受注したいと考えていた。

一方、Aは、平成五年四月から、数回にわたり、Cを関空会社に訪ねて、関西国際空港のメンテナンス業務について尋ねるなどしていたが、同年九月一七日ころ及び同年一〇月六日ころにCを関空会社に訪ねて、旅客ターミナルビルの清掃業務に関して、大幸工業が地元の業者をまとめる力がある旨を告げた。

そして、Bは、同年一〇月ころ、Aから、地元の業者をまとめれば関西国際空港の清掃業務を受注できると言われ、他方、大林組関西国際空港工事事務所副所長であるFからも、地元の業者をまとめるように言われたことから、地元の業者に働きかけ、地元の業者から大幸工業が窓口になって関西国際空港の清掃業務を受注する旨の了解を得て、そのことをA及びFに報告した。

3  Dは、旅客ターミナルビルの清掃業務について、大手の清掃業者に地元の活用をしてもらうことが解決の方向であると考えて、関西国際空港建設協力会の会長代理として関西国際空港の建設について地元の団体、業者間あるいは関空会社との連絡調整に当たっていた前記Fらから情報を収集していたところ、同年一〇月ころ、Cから、大幸工業が地元の清掃業者をまとめることができるか調べるように言われたことから、Fに大幸工業がどのような会社か尋ねるなどし、同年一二月中旬、Fから、Cが同席したところで、元請業者のもとの下請に入るのに適当な地元の業者として、大幸工業を含む数社の推薦を受けるとともに、元請業者と推薦する下請業者との組合わせについて提案された。

施設エンジニアは、平成六年一月一〇日及び一二日に元請業者六社の担当責任者を集めた打ち合せを行い、関空会社は地元との共存共栄を基本方針としているので、元請業者六社で連絡協議会及びワーキンググループを作って、地元対策に当たるように求めた。

これを受けて、元請業者六社は、連絡協議会及び七つのワーキンググループを設けたところ、同年二月八日に開かれた地元対策ワーキンググループ分科会において、北村が、元請業者六社のもとに地元の業者五社を下請業者として入れる組合わせの案を示し、さらに、同月一四日に開かれた元請業者六社の役員が出席した連絡協議会において、元請業者の一つである株式会社ジャパンメンテナンスの代表取締役Gが、前記元請業者と下請業者との組合わせを発表したことから、元請業者はそれを受け入れ、その結果、大幸工業は、元請業者から旅客ターミナルビルの清掃業務を受注し、同年八月から下請業者を使ってその業務を行うようになった。

4  Aは、同年一月七日ころ、Cを関空会社に訪ね、Cから、旅客ターミナルビルの清掃業務について選定された元請業者名等が印刷された施設エンジニア作成の「関西国際空港旅客ターミナルビル地区清掃委託業者選定審査報告書」と題する書面の交付を受け、同年二月か三月、Bから、大幸工業が元請業者から旅客ターミナルビルの清掃業務を受注することになったことを聞いた。

Bは、同年九月一九日ころ、Aから誘われて食事を共にした際、自らが設立して代表理事を務めている大阪ベントナイト事業協同組合の資金から用立てた一〇〇万円をAに支払い、Aから、A石油商会が同協会組合に対して新空港調査手数料として四〇〇万円を請求する旨の請求書が送付されてきたのを受けて、同月二八日、同協同組合の資金から三菱銀行天満支店A石油商会名義の普通預金口座に残金三〇〇万円を振込送金し、Aから送付されてきたA石油商会が同協同組合から新空港調査手数料として四〇〇万円を領収した旨の領収書を受け取った。

また、Bは、平成七年四月、Aが実質的に経営するジェイ・アイ・コンサルティング株式会社の代表取締役であるHとの間で、ジェイ・アイ・コンサルティングが大幸工業に対して毎月旅客ターミナルビルの清掃管理業務の研究及び企画業務の報告をし、大幸工業がジェイ・アイ・コンサルティングに対してその委託料として毎月三〇万円を支払う旨の業務委託契約を締結し、同月から毎月三〇万円をジェイ・アイ・コンサルティングに支払い、平成八年四月からは、Hから求められて、毎月支払う金額を四〇万円に増額した上、同年一〇月三一日、Hから資金繰りの窮状を訴えられ、銀行から融資を受けて、六〇か月分の委託料二四〇〇万円をジェイ・アイ・コンサルティングに前払いした。

二  関西国際空港において防犯用特殊ゴミ袋を使うように働きかけがされた経緯

証拠欄2ないし4、19ないし21記載の各証拠によれば、次の各事実を認定することができる。

1  Aは、平成五年一二月ないし平成六年一月ころ、梱包資材の販売等を行っているサンキ産業株式会社の経営者Iから、関西国際空港の保全対策として、爆発物や有害物質をゴミ袋に仕掛けられるのを防ぐため、爆発物や有害物質に反応する防犯用特殊ゴミ袋を採用して、これらのものが早期に発見できるようにしてはどうかという提案をされた。

2  Aは、ジェイ・アイ・コンサルティングで防犯用特殊ゴミ袋を開発することにして、平成六年三月一日ころ、Cを関西会社に訪ね、防犯用特殊ゴミ袋を考案するので、関西国際空港で採用してもらえないかと持ちかけたところ、Cから、担当のDと相談するように言われた。

そこで、Aは、Hに対して、防犯用特殊ゴミ袋の検討を指示し、Hは、Iと連絡をとって検討を進め、同年四月一三日ころ、検討結果をまとめた書面を持参して、Dを関空会社に訪ね、紫外線を当てると化学薬品を使用した印刷が反応するような防犯用特殊ゴミ袋について説明し、さらに同月下旬にも、Dを訪ねて、防犯用特殊ゴミ袋を採用するように働きかけた。

3  Dは、関空会社保安部から意見を聴いたところ、防犯用特殊ゴミ袋を採用する必要はないという回答を受け、コストがかかりそうであったこともあって、Hが働きかけている防犯用特殊ゴミ袋は採用しないことにして、Cの了解を得て、同年五月一六日ころ、Hから電話を受けた際、その旨を伝えた。

第二 大幸工業が旅客ターミナルビルの清掃業務の下請業者に選定されたことに関するAおよび被告人の関与

一  AのCに対する働きかけの内容

Aは、検察官調書謄本(甲七三)及び公判(証拠欄2記載の証拠)において、一貫して、かねてBから関空会社空港の清掃業務をしたい旨言われていたことろ、平成五年九月中旬ころ及び同年一〇月上旬ころ、関空会社にCを訪ねて、Cに対して、Bや大幸工業について説明した上、Bは地元の業者をまとめることができるので、清掃業務の下請業者として起用してもらいたいという趣旨の申入れをした旨供述している。

これに対して、Cは、検察官調書謄本(甲六五)及び公判(証拠欄3記載の証拠)において、Aが、同年九月一七日ころ及び同年一〇月六日ころ、関空会社に訪ねてきて、関空会社が抱えている清掃業務の問題について話をしたところ、Aから大幸工業であれば地元の業者をまとめることができると言われ、その後、Aが、再度関空会社に訪ねてきて、大幸工業が地元の業者をまとめ上げたと言っていることを話してきた旨供述しているが、Aから明示して大幸工業を下請業者に起用してもらいたい趣旨の申入れを受けたことは供述していない。

そこで、検討すると、次の諸事情から、Aは、Cに対して、大幸工業を清掃業務の下請業者として起用してもらいたいという趣旨の申入れをしたことが認められる。

1  Bの検察官調書謄本(甲二三、二四)及び公判(第一二回公判調書)における供述によれば、Bは、大阪市住之江区に本店を置く大幸工業株式会社の代表取締役であるところ、関西国際空港の仕事を受注するためには、地元の大阪府泉佐野市に本店を置く会社を設立した方が有利であると考えて、昭和五八年一月、泉佐野市に本店を置く資本金二〇〇〇万円の大幸工業株式会社を設立し、関西国際空港の旅客ターミナルビルの清掃業務や空港島内の下水道の清掃業務を受注したいと考えて、平成五年七月ころ、部下に対して、そのための営業活動をするように指示していたことが認められ、Bが関西国際空港の清掃業務を受注したいと考えていたことは疑いがない。

2  Aの検察官調書謄本(甲七三、七四)及び公判(証拠欄2記載の証拠)における供述並びにBの検察官調書謄本(甲二五、二六)及び公判(第一二回公判調書)における供述によれば、前記第一の一の4で認定したBからA及びジェイ・アイ・コンサルティングに対して支払われた金員は、大幸工業が関西国際空港の清掃業務の下請に入ったことに対する謝礼であることは明らかであるところ、Aは、検察官調書謄本(甲七三)及び第九回公判調書において、大幸工業が清掃業務を受注できれば、Bから仲介手数料をもらえるかもしれないと考えていた旨供述している上、清掃業務の元請業者が決まった後の平成六年一月七日ころ、Cから、下請に入るため営業活動をするべき元請業者の名前を聞き出していることからすると、Aが大幸工業に関西国際空港の清掃業務を受注させようと考えて、それを目的としてCに働きかけていたことは明らかである。

3  Bは、検察官調書謄本(甲二四)及び公判(第一二回公判調書)において、平成五年一〇月か一一月ころ、Aから、地元の業者をまとめるように言われただけではなく、そうすれば関西国際空港の仕事が入ってくると言われた旨供述しており、この供述は、Aの検察官調書謄本(甲七三)及び公判(第八回公判調書)における供述と一致している上、Bは、A及びFの双方から地元の業者をまとめるように言われたにもかかわらず、清掃業務の下請に入った後、Aに対しては前記謝礼を支払っているが、Fに対しては謝礼を支払っておらず、清掃業務の下請に入ったことについて、Aに金員をもって報いる必要があると考えていたことがうかがえる。

以上のように、Aは、Bの関西国際空港の清掃業務を受注したいという意向を受けて、大幸工業に関西国際空港の清掃業務を受注させる目的でCに働きかけており、そして、Bは、Aから地元の業者をまとめると関西国際空港の仕事が入ってくる旨をいわれて地元の業者をまとめ、清掃業務の下請に入ったことについてAに継続して謝礼を支払っていることが認められる。右にような事情に照らせば、Aの第二の一冒頭記載の供述のように、AがCに対して大幸工業を清掃業務の下請業者として起用してもらいたい趣旨の申入れをしていたことが認められる。

なお、これらの事情に照らすと、Cは、右趣旨の申入れを受けていたことについて供述を避けているというほかない。

二  Aの働きかけを受けたCら関空会社の対応

Cは、検察官調書謄本(甲六五)においては、Aから大幸工業であれば地元の業者をまとめることができると言われたのを受けて、そうであれば、大幸工業を地元の業者と抱き合せの形で清掃業務の下請に入れることを考えて、Dに対して大幸工業について情報を収集するように指示し、その後Dから大幸工業には地元の業者をまとめる力がある旨の報告を受けた旨供述し、また、Aから大幸工業が地元の業者をまとめたことを告げられた後、平成六年一月五日ころ被告人のもとへ元請業者の選定の決裁を受けに行った際、被告人に大幸工業が地元の業者をまとめ上げそうなので、大幸工業と地元の業者を抱き合せの形で下請に入れようと思う旨の報告をし、さらに、平成六年春ないし六月ころ、被告人に対して、地元雇用の調整結果について、大幸工業を含めた地元の業者の下請体制が固まったことを報告した旨供述している。

これに対して、Cは、公判(証拠欄3記載の証拠)においては、清掃業務の下請体制を決めるのは元請業者であり、Aから大幸工業について話をされた時点においては、大幸工業を清掃業務の下請に入れることを念頭においていなかった旨の供述をし、さらに、大幸工業が清掃業務の下請に入ったのは、関空会社の意向によるものではなかったという趣旨の供述をしている。

しかしながら、次の1、2の諸事情から、Cは、Aから大幸工業であれば地元の業者をまとめることができ、大幸工業を清掃業務の下請業者として起用してもらいたい趣旨の申入れを受け、そうであれば、大幸工業を地元の業者と抱き合せの形で清掃業務の下請に入れることを考えて、その考えを念頭において対応したものと認められる。

1  前記第一の一の3で認定したとおり、Dは、Fから、Cが同席したところで、関西国際空港の清掃業務について、下請業者として大幸工業を含む地元の業者数社の推薦を受けるとともに、元請業者と下請業者との組合わせについて提案を受けており、他方で、平成六年二月八日に開かれた元請業者の地元対策ワーキンググループ分科会において、Fが、元請業者六社のもとに地元の業者五社を下請業者として入れる組合わせの案を示し、同月一四日に開かれた元請業者六社の連絡協議会において、Gが、前記元請業者と下請業者との組合わせを発表したことが認められるところ、その間の経緯について、関係者は、次のとおり供述している。

(一) Dは、検察官調書謄本(甲一九)において、元請業者六社と地元の下請業者との組合わせは、関空会社が表立って関与すると、トラブルが生じた場合、責任を問われる可能性があるから、関空会社が表に出ることを避け、関空会社の意向をFとGに伝え、その両名が元請業者六社の連絡協議会をリードして決定するのがよいと考え、GとFを引き合わせる機会をもうけるなどして、元請業者六社と下請に入る地元の業者五社との組合わせが、元請業者六社の連絡協議会において自発的に決定された形をとった旨供述している。

(二) 関空会社の施設部建設第二課長として旅客ターミナルビルの清掃業者の選定に関与していたJは、第一一回公判調書において、元請業者六社は、地元雇用を促進することでは基本的に合意していたが、地元の業者を下請に使うということまでは明確に認識していなかったところ、D及びFと共に元請業者と下請業者との組合わせについて検討し、その結果をDがCに報告して、その案を、地元対策ワーキンググループの成果として元請業者六社の連絡協議会に伝えたという形をとった旨供述しており、おおむねDの前記検察官調書における供述と符合する供述をしている。

(三) 元請業者の担当者として元請業者六社の連絡協議会に出席するなどしていたK、Lが、いずれも、第一一回公判調書において、平成六年二月一四日、連絡協議会に出席したところ、Gから、知らない地元の業者である大幸工業を下請業者として使うように求められ、それを受け入れた旨供述していることなどからすると、元請業者は、地元の業者の実情などについて情報が与えられないまま、Gらから一方的な提案を受けて、それを受け入れざるを得なかったことがうかがえる上、Iは、前記公判調書において、Gの提案に不満を持ち、同月一八日、Gを訪ねたところ、Gから関空会社の意向であるからよく理解してもらいたいと諭された旨供述している。

そうすると、元請業者六社のもとに地元の業者を下請として入れることとして、元請業者と地元の下請業者とを組み合わせたのは、関空会社が、Fを交えるなどして検討した結果を、G及びFを通じて元請業者六社の連絡協議会に諮って実現したものであり、元請業者六社が自主的に選択した方策ではないことが認められる。

なお、これらの事情に照らすと、Dが公判(証拠欄4記載の証拠)においてこれに反する供述をしている点は、信用性に乏しい。

2  ところで、下請業者の選定に関しては、前記認定のとおり、Fが、平成五年一二月中旬、Dに対して、Cが同席したところで、元請業者のもとの下請に入るのに適当な地元の業者として大幸工業を含む数社を推薦するとともに、元請業者と推薦する下請業者との組合わせについて提案したことが認められ、また、Fは、第七回公判調書において、関西国際空港の開港を控えて、地元の清掃会社をまとめて関空会社に紹介しないといけないと考え、大幸工業にお願いして、清掃会社をとりまとめてもらおうと動いていたとき、Dから大幸工業について尋ねられ、自分が大幸工業を使ってまとめようとしているのを聞いて、大丈夫なのか確かめてきたと思った旨供述している。

弁護人は、この点をとらえて、清掃業者の下請業者の選定については、Fが独自の判断で主導的な役割を担っており、大幸工業が下請業者として選定されたのは、Fの独自の調査と判断による旨主張している。

しかしながら、次の諸事情に照らすと、Fは、Cから指示を受けたDから大幸工業について尋ねられ、関空会社が大幸工業に地元の業者をまとめさせて清掃業務に大幸工業を使おうとしていると考え、Bに対して、地元の業者をまとめなければ関西国際空港の仕事を受注することはできない旨を話したものと認められる。

(一) 関西国際空港の清掃業務について地元雇用をはかることは、関空会社の利害にかかわり、関空会社が関心を持っていた事柄である上、前記第二の二の1で認定したとおり、清掃業務について元請業者六社のもとに地元の業者を下請として入れることとして、元請業者と地元の下請業者とを組み合わせたのは、関空会社が、Fを交えるなどして検討した結果を、G及びFを通じて元請業者六社の連絡協議会に諮って実現したものであると認められるところ、D及びBの捜査段階及び公判における供述からは、Fが、Dから大幸工業について尋ねられる以前に、独自の調査と判断から、Bに対して、地元の業者をまとめるように働きかけていた形跡が全くうかがえない上、Bは、第一二回公判調査において、Fから地元の業者をまとめるように言われた時期は、Aから同様のことを言われた時期と同じころか、その時期よりやや遅かったと思う旨供述している。

(二) Fは、検察官調書謄本(甲三一)において、平成五年一〇月初めころ、関空会社に立ち寄った際、Dから「C常務が、関空の清掃について、大幸を使って地元清掃業者をまとめたらいいなぁと言っているんだけれど、大幸ってどんな会社ですか。地元業者をまとめるそんな力があるんですか」と尋ねられたので、大幸工業について説明したが、そのとき、関空会社は、大幸工業に地元の業者をまとめさせて、関西国際空港の清掃業務に大幸工業を使おうとしていると思い、自分も大幸工業を使って地元の清掃業者をまとめさせようと考えて、Bに対して、地元の清掃業者をまとめれば、関西国際空港の仕事を受注できると勧めた旨供述している。

そして、Bは、検察官調書謄本(甲二四)においては、平成五年一〇月上旬ころ、Fから、地元をまとめたら関西国際空港旅客ターミナルビルの仕事を取れると言われた旨供述し、第一二回公判調書においては、同年一〇月か一一月、Fから、地元をまとめないと仕事はもらえないと言われ、地元をまとめ上げると仕事が入ると思った旨供述しており、捜査段階及び公判を通じて、Fの検察官調書に符合する供述をしている。

これらの事情に照らすと、Fの前記検察官調書における供述は、十分信用できる。

なお、Fの前記公判供述は、大幸工業に地元の業者をまとめさせることは自分が発案したというのであり、そのため、Bに対しては、地元の組合を作るように促したというのであって、地元の業者をまとめると関西国際空港の仕事を受注できると勧めたことを供述するものではないが、これらの事情に照らすと、この供述は到底信用できない。

右1、2の諸事情によると、Cは、関西国際空港の清掃業務について、Aから、大幸工業が地元の業者をまとめることができるので、清掃業務の下請業者に起用してもらいたいという趣旨の申入れを受けたことから、Dに対して、大幸工業について情報を収集するように指示し、Fは、Dから大幸工業について尋ねられたことから、関空会社が大幸工業に地元の業者をまとめさせて清掃業務に大幸工業を使おうとしていると考えて、Bに地元の業者をまとめるように働きかけ、関空会社は、Fの提案を受けて、元請業者のもとに大幸工業を含む地元の業者を下請に入れることとし、元請業者と下請業者の組合わせを検討するなどして、その結果をG及びFを通じて元請業者六社の連絡協議会に諮り、地元の業者の実情について知らない元請業者は、関空会社の意向を受けたGらの提案を受け入れるほかなかったことが認められる。そして、このような事情に照らせば、Cの第二の二冒頭記載の検察官調書における供述のように、Cが、Aの申入れを受けて、大幸工業を地元の業者と抱き合せの形で清掃業務の下請に入れることを考えて、その考えを念頭において対応したことが認められる。

なお、これらの事情に照らすと、Cの前記公判供述は信用できない。

三  Aの被告人に対する働きかけの有無

Aは、検察官調書謄本(甲七三)及び公判(証拠欄2記載の証拠)において、一貫して、平成五年九月上旬ころ、被告人に対して、大幸工業が地元の清掃業者の問題を解決できたら、大幸工業を下請業者として使ってもらえないかとお願いしたところ、被告人から、Cに話しておくから、Cと話をするように言われた旨供述している。そして、その日時、場所について、検察官調書においては、同月三日、京都の料亭「中里」で被告人を接待した際、被告人にそのようなお願いをした旨供述しているが、公判においては、「中里」で被告人を接待した際、そのような話をしたことはなかった旨供述している。

これに対して、被告人は、検察官調書(乙四)においては、同年の夏か秋、Aから、清掃関連の地元の業者の調整に苦労しているのであれば、大幸工業を紹介するので、地元の業者のまとめ役として下請業者に使えばうまくまとまると言われたが、同年九月三日「中里」でAから接待を受けた際、その話が出たかどうかはっきりした記憶はない旨供述し、公判(第一四回公判調書)においては、同年九月ころ、京都の料理屋でAから接待を受けた記憶はあるが、そのとき、清掃業務の問題について話が出たことは全くなかったし、それ以外の機会にも、Aから、清掃業者の問題等について話を聞いた記憶は全くない旨供述している。

そこで、検討すると、次の諸事情に照らして、Aは、平成五年九月三日、京都の料亭「中里」において被告人を接待した際、被告人に対して、大幸工業が地元の清掃業者の問題を解決できれば、大幸工業を清掃業務の下請業者として使ってもらいたい旨申し入れたところ、被告人から、Cに話しておくから、Cに話をするように言われたことが認められる。

1  被告人の検察官調書(乙四)、第三回公判調書中の証人Cの供述部分、第八回公判調書中の証人Aの供述部分及び第一四回公判調書中の被告人の供述部分によれば、Aは、平成四年三月一〇日ころ、赤坂の料亭「大乃」において、国会議員から被告人を紹介してもらい、その後、被告人を宴席で接待したり、ゴルフに誘うようになったところ、同年一二月二〇日ころ、被告人と共にゴルフをした際、被告人からCを紹介されたことが認められる。そうすると、Aは、Cと面識を得る以前から、国会議員を通じて被告人と知り合い、親しく交際していたのであり、Cよりもはるかに被告人と親しい関係にあったというべきである。

2  Aの供述は、検察官調書及び公判を通じて、被告人に対して、大幸工業が地元の清掃業者の問題を解決できたら大幸工業を下請業者として使ってもらえないかとお願いしたところ、被告人から、Cに話しておくから、Cに話をするように言われたということでは一貫している上、Aは、検察官調書謄本(甲七三)及び公判(第八回公判調書)において、一貫して、その後の平成五年九月中旬ころ、関空会社にCを訪ねたところ、Cが、被告人から話を聞いているが、具体的な話を聞きたいと言ってきた旨供述している。

3  他方、Aは、第九回及び第一〇回各公判調書において、平成五年九月三日「中里」で被告人に対して清掃業務に関する話をしなかった根拠として、当日、台風が来ており、東京から出席する予定の人が出席できず、被告人は、工事途中で心配でおれないからと言って、一〇分か二〇分で帰り、堺から来ていた人も、被告人が帰ってから、すぐ帰った旨供述している。

また、被告人は、検察官調書(乙四)及び第一四回公判調書において、「中里」で被告人から清掃業務に関する話をされなかった根拠として、宴席に赴いてみると、A以外に初対面の人がいて、初対面の人とくつろげるべき席で話をするのが得手でなかったことから、口実を使って、二〇分足らずで帰った旨供述している。

しかしながら、Aは、検察官調書謄本(甲七三)において、「中里」で被告人を接待した際、台風が九州に接近しており、出席する予定であった二名が出席できず、Aと被告人以外に一名しか出席していなかったことを供述しつつ、その席で、被告人に対して、大幸工業を地元の業者のまとめ役として清掃業務の下請に使ってもらえないかとお願いした旨供述している。

また、被告人にしても、Aにしても、わざわざ大阪から京都の料亭「中里」に赴いている上、第一〇回公判調書中の証人Aの供述部分、Aの検察官調書謄本(甲七三)によれば、Aが宴席に招待し、当日「中里」に来ていたのは、資源エネルギー庁長官を務め、大手製鉄会社の役員である人物であったというのであるから、被告人が一〇分ないし二〇分の短時間で宴席から帰ったというのは、いかにも不自然である。

4  むしろ、Aの検察官調書における前記供述は、被告人に対して大幸工業を清掃業務の下請業者として起用するように働きかけた状況として、それなりに具体性がある上、Aは、Cよりはるかに被告人と親しい関係にあったのであるから、Aが、前記検察官調書において、Cに大幸工業を清掃業務の下請に起用するように働きかける以前に、被告人に対して同様の働きかけをし、その際、被告人から、Cと話をするように言われた旨供述しているのは、事態の推移として自然である。

これらの事情からすると、Aの検察官調書における前記供述は十分信用できるのに対して、前記Aの公判供述並びに前記被告人の検察官調書及び公判における各供述は信用できない。

四  小括

これまで検討してきたところによると、次の各事実を認めることができる。

1  Aは、大幸工業に関西国際空港の清掃業務を受注させようと考えて、平成五年九月三日、京都の料亭「中里」において被告人を接待した際、被告人に対して、大幸工業が地元の清掃業者の問題を解決できたら、大幸工業を地元の業者のまとめ役として下請業者に使ってもらいたい旨申し入れたところ、被告人から、Cに話しておくから、Cと話をするように言われた。

2  Aは、同年九月一七日ころ、Cを関空会社に訪ねたところ、Cから、被告人から話は聞いているが、具体的な話を聞きたいと言われたので、大幸工業とBについて説明し、同年一〇月六日ころ、Cを関空会社に訪ねて、Bは地元の業者を押さえることができると言っているので、大幸工業を清掃業務の下請に起用するように申し入れた。

3  Aから申入れを受けたCは、大幸工業が地元の業者をまとめることができるのであれば、大幸工業を地元の業者と抱き合せで下請に入れることを考え、Dに大幸工業に関する情報を収集するように指示し、DはFに大幸工業について尋ねた。その後、関空会社は、Fの提案を受けて、元請業者のもとに大幸工業を含む地元の業者を下請に入れることとし、元請業者と下請業者の組合わせを検討するなどして、その結果をG及びFを通じて元請業者六社の連絡協議会に諮り、元請業者六社の了解を得た。

これらの事情からすると、被告人は、Aから大幸工業を清掃業務の下請業者に使ってもらいたい旨の申入れを受け、そのことをCに取り次いでいると認められる上、そうであるとすれば、Cが検察官調書謄本(甲六五)において供述しているように、そのような被告人の意向を受けたCが、被告人に対して、大幸工業が地元の業者をまとめ上げそうなので、大幸工業と地元の業者を抱き合わせの形で下請に入れようと思う旨の報告をし、さらに、被告人に対して、地元雇用の調整結果について、大幸工業を含めた地元の業者の下請体制が固まったことの報告をしているということもまた、これを認めることができる。

以上のとおり、大幸工業が旅客ターミナルビルの清掃業務の下請業者に選定されたのは、Aが被告人にその旨の申入れをし、被告人がAの申入れをCに取り次いだことが大きな契機になっていると認められる。

第三 関西国際空港における防犯用特殊ゴミ袋の採用に関するAの被告人に対する働きかけの有無

一  A及び被告人の各供述の信用性の判断

Aは、検察官調書謄本(甲七二)及び第八回公判調書(検察官の主尋問)において、平成六年一月二六日、京都の料亭「小澤」で被告人を接待した際、被告人に対して、関西国際空港で防犯用特殊ゴミ袋を使うように申し入れたところ、被告人から、Cに話しておくから、Cに話をするように言われた旨供述している。

これに対して、Aは、第一〇回公判調書(弁護人の反対尋問)において、「小澤」で被告人を接待した際、防犯用特殊ゴミ袋について話をしたが、それは座を盛り上げるための一般的な紹介にとどまる旨供述し、被告人も、検察官調書(乙四)において、Cから、防犯用特殊ゴミ袋について一般的な紹介を受けたことがあり、おもしろいアイデアだという返事はしたかもしれない旨供述しているが、第一四回公判調書においては、Aから防犯用特殊ゴミ袋について話を聞いた記憶はない旨供述している。

そこで、検討すると、次の諸事情から、Aは、平成六年一月二六日、京都の料亭「小澤」で被告人を接待した際、被告人に対して、関西国際空港で防犯用特殊ゴミ袋を使うように申し入れたところ、被告人から、Cに話しておくから、Cに話をするように言われたことが認められる。

1  前記第一の二で認定したとおり、Aは、平成五年一二月ないし平成六年一月ころ、Iから防犯用特殊ゴミ袋について提案され、ジェイ・アイ・コンサルティングが防犯用特殊ゴミ袋を開発して、それを関西国際空港で使用してもらうことを考え、平成六年三月一日ころ、その旨をCに申し入れるとともに、Hに指示して、Iと連絡を取りながら防犯用特殊ゴミ袋について検討させ、防犯用特殊ゴミ袋の採用をDに働きかけさせている。

このように、Aは、平成六年の初めの時期に、Iの提案を受けて、ジェイ・アイ・コンサルティングで開発する防犯用特殊ゴミ袋を使用してもらうため、積極的に関空会社に働きかけていた。

2  そして、Aの前記検察官調書における供述は、被告人に対して関西国際空港で防犯用特殊ゴミ袋を使うように申し入れた状況について、被告人から、成田空港建設に反対する過激派から自動車に放火されたことがあり、そのとき自動車にあったお守りだけが燃えなかったというエピソードを紹介された旨供述するなど、具体性があり、Iから提案を受けて、被告人に防犯用特殊ゴミ袋の採用を申し入れ、被告人からCと話をするように言われて、Cに働きかけたという経過も自然である上、Cが、検察官調書謄本(甲六六)及び公判(第三回公判調書)において、一貫して、Aが、平成六年三月一日ころ、関空会社に訪ねてきて、関西国際空港で防犯用特殊ゴミ袋を使うように申し入れてきた際、被告人にも話してあると述べていた旨供述していることとも符合している。

他方、Aが、開発する予定の防犯用特殊ゴミ袋を関西国際空港で使用してもらいたいと考えながら、被告人に対しては一般的に防犯用特殊ゴミ袋のアイデアを紹介するにとどめ、その後、Cに対して防犯用特殊ゴミ袋の採用を申し入れたというのは、いかにも不自然である。

これらの事情に照らすと、前記Aの検察官調書における供述は信用できるのに対して、Aの第一〇回公判調書における前記供述並びに前記被告人の検察官調書及び公判における各供述は信用できない。

なお、Aは、前記検察官調書において、「小澤」で被告人を接待した際、防犯用特殊ゴミ袋を採用することとともに、清掃作業員の制服を特殊なものにすることを申し入れた旨供述している。しかしながら、前記第一の二の2で認定したとおり、AがHに防犯用特殊ゴミ袋について検討するように指示したのは、AがCに関西国際空港で防犯用特殊ゴミ袋を使用するように申し入れた後であると認められるところ、Aは、第八回公判調書において、清掃作業員の制服を統一することは、Iから提案されたことではなく、防犯用特殊ゴミ袋の検討を指示されたHが出したアイデアである旨供述しており、Cは、捜査段階及び公判を通じて、Aから清掃作業員の制服について申入れを受けた旨の供述はしていない。これらの事情からすると、この点に関するAの前記検察官調書における供述は、直ちに信用できない。

二  小括

これまで検討してきたところによると、Aは、平成六年一月二六日、京都の料亭「小澤」において被告人を接待した際、関西国際空港で使用する防犯用特殊ゴミ袋を開発したい旨申し入れたところ、被告人から、Cに話しておくので、Cと話をするように言われたことが認められる。

これらの事情に加えて、Aの前記検察官調書における供述によれば、Aが関西国際空港で防犯用特殊ゴミ袋を開発したい旨申入れたところ、被告人は、テロ対策の重要性を強調して、関心を示したということからすると、Aが検察官調書謄本(甲七二)及び公判(第八回公判調書)において、その後、Cを関空会社に訪ねて、被告人から防犯用特殊ゴミ袋について聞いているかと尋ねた際、Cが被告人から聞いていると答えていた旨供述しているのは十分信用できるのであり、そうすると、被告人は、Aから関西国際空港で使用する防犯用特殊ゴミ袋を開発したい旨の申入れを受け、そのことをCに取り次いでいるものと認められる。

第四 わいろ性の有無及び被告人のわいろ性の認識

被告人は、公判(第一四回公判調書及び第一八回公判期日)において、Aは、著名な国会議員から紹介され、谷町的な気質の強い人で、座談の席では明るく楽しい人であり、大阪の心ある人たちの例にもれず、関西国際空港の心情的な応援者という感じが強く、被告人に非常に強い好意を寄せており、被告人と気の合うタイプという感じがして、心身共に休まる暇がない時期、たまには息抜きをされたらどうかと言って誘ってくれ、ほっとする思いで誘いを受けていた旨供述し、わいろ性の認識を否定する趣旨の供述をしている。

そこで、これまで検討してきたところを踏まえて、Aが判示のとおり行った被告人に対する接待、被告人に供与した金品のわいろ性及び被告人のわいろ性の認識について検討する。

一  わいろ性の有無

これまで検討してきたところによると、次の各事実を認めることができる。

1  Aは、大幸工業に関西国際空港の清掃業務を受注させようと考えて、平成五年九月三日、京都の料亭「中里」において被告人を接待した際、被告人に対して、大幸工業が地元の清掃業者の問題を解決できたら、大幸工業を地元の業者のまとめ役として下請業者に使ってもらいたい旨申し入れたところ、被告人から、Cに話しておくので、Cに話すように言われたため、同年九月一七日ころ及び同年一〇月六日ころ、Cを関空会社に訪ねて、Bは地元の業者を押さえることができるので、大幸工業を清掃業務の下請に起用するように申し入れた。

2  被告人からAの申入れを聞き、かつ、Aから直接申入れを受けたCは、大幸工業が地元の業者をまとめることができるのであれば、大幸工業を地元の業者と抱き合わせで下請に入れることを考え、Dに指示して情報を収集した上、大幸工業を清掃業務の下請に入れることとして、その旨被告人に報告した。

3  その結果、大幸工業は、清掃業務の下請に入り、平成六年八月からその業務を行っており、Bは、その謝礼として、Aに対して、同年九月一九日ころ一〇〇万円、同月二八日三〇〇万円をそれぞれ支払い、ジェイ・アイ・コンサルティングに対して、平成七年四月から平成八年三月まで毎月三〇万円、同年四月から毎月四〇万円をそれぞれ支払い、同年一〇月三一日には、毎月の支払の六〇か月分に当る二四〇〇万円を前払いしている。

4  Aは、平成六年一月二六日、京都の料亭「小澤」において被告人を接待した際、関西国際空港で使用する防犯用特殊ゴミ袋を開発したい旨申し入れたところ、被告人から、Cに話しておくので、Cと話をするように言われたため、同年三月一日ころ、Cを関空会社に訪ねて、防犯用特殊ゴミ袋を関空会社で採用するように働きかけたが、関空会社の内部検討の結果、同年五月一六日ころ、DからHに対し防犯用特殊ゴミ袋不採用の通知があった。

ところで、Aは、被告人に対して、直接、宴席での接待の際、大幸工業を清掃業務の下請業者として起用するように申し入れ、関西国際空港で防犯用特殊ゴミ袋を使うように申し入れている。

しかも、Aが、判示第一ないし第四のとおり被告人を接待し、被告人に金品を供与した時期は、大幸工業が清掃業務の下請業者に内定し、その後業務を行うようになって、AがBから継続してその謝礼を受け取っていた時期であり、また、Aが判示第一のとおり被告人を接待し、被告人に金品を供与した時期は、AがCに対して防犯用特殊ゴミ袋を採用するように働きかけていた時期である。

これらの事情に照らすと、いかにAが被告人と個人的に親しい関係にあったとしても、Aが判示第一ないし第四のとおり行った被告人に対する接待及び被告人に対する金品の供与は、旅客ターミナルビルの清掃業務を大幸工業が受注できるように好意ある取り計らいを受けたことの謝礼の趣旨及び今後も同様の取り計らいを受けたい趣旨によるものであり、また、右のうち判示第一の接待及び金品の供与が、防犯用特殊ゴミ袋に関する提案を関空会社において検討してもらうなどの好意ある取り計らいに対する謝礼の趣旨も含むものであることは明らかである。

二  被告人のわいろ性の認識

これまで、検討してきたところによると、次の各事実を認めることができる。

1  被告人は、Aから接待を受けた際、Aから大幸工業を関西国際空港の清掃業務の下請業者に使ってもらいたい旨の申し入れを受け、AにCと話をするように言って、そのことをCに取り次いでいる。

2  被告人は、Cから、大幸工業が地元の業者をまとめ上げそうなので、大幸工業と地元の業者を抱き合わせの形で下請に入れようと思う旨の報告を受け、さらに、地元雇用の調整結果について、大幸工業を含めた地元の業者の下請体制が固まったことの報告を受けて、Aから申入れを受けていた大幸工業が、清掃業務の下請業者として、今後継続してその業務を行うことを知った。

3  被告人は、Aから接待を受けた際、Aから関西国際空港で使用する防犯用特殊ゴミ袋を開発したい旨の申入れを受け、Cと話をするように言って、そのことをCに取り次いでいる。

これらの事情に照らすと、被告人は、宴席での接待に際して、Aからの前記各申入れを受けている上、その申入れに沿った相応の対応をし、申入れの趣旨のとおり大幸工業が清掃業務の下請に入ったことも知っており、AがBから継続してその謝礼の支払を受けていたことは知らなかったとしても、大幸工業が、清掃業務の下請業者として、継続してその業務を行う立場にあることはわかっていたのであるから、Aが判示のとおり行った被告人に対する接待及び金品の供与が前記趣旨のわいろであることを認識していたことは明らかである。

【法令の適用】

被告人の判示各所為はいずれも関西国際空港株式会社法二五条一項前段に該当するところ、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、刑法四七条本文、一〇条により犯情の最も思い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年六月に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、押収してある金地金一個(平成九年押第一八五一号の1)は、被告人が判示第一の犯行により収受したわいろであるから、関西国際空港株式会社法二五条二項前段によりこれを被告人から没収し、被告人が判示各犯行により収受した各酒食遊興の接待はそれ自体として、被告人が判示第二の犯行により収受した絵画一点は他人に譲渡されたことにより、判示第三の犯行により収受した現金三〇万円及び判示第四の犯行により収受した額面合計一〇万円の商品券はすでに費消されていることにより、いずれも没収することができないので、同法二五条二項後段によりこれらの価額合計一七四万一九二四円を被告人から追徴し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

【量刑の事情】

本件は、関空会社の代表取締役であった被告人が、関西国際空港施設の維持、管理の職務に関して、親しく交際していた石油商から、四回にわたり、接待を受けるとともに、金品の供与を受けたという事案である。

被告人は、関空会社の代表取締役として、部下職員の模範となるべき立場にあり、法律により公正にその職務を行うことが求められていたにもかかわらず、その権限を目当てにして近づいてきた同石油商から、同石油商の知人が経営する会社を関西国際空港旅客ターミナルビルの清掃業務の下請業者とし、あるいは防犯用特殊ゴミ袋を関西国際空港において使うように頼まれ、実際に同石油商の知人が経営する会社が清掃業務の下請業者に選定されていたにもかかわらず、その石油商の誘いに乗り、安易に一人当たり合計三四万円余りの接待を受け、合計一八二万円余りの高価な金品の供与を受けている。被告人が供与を受けた利益は見過ごすことができるものではなく、責任ある職務に就きながら、関空会社の業務について依頼を受けていた民間業者から求められるまま、安易にこのような行為に及んだ被告人に対しては、厳しい非難が向けられてしかるべきである。そうであるにもかかわらず、被告人は、公判において、自らの行為が正当であった旨を弁解し、あるいは捜査の方法について非難するなど、自らの責任を真剣に受け止める姿勢に乏しい。これらの犯情に照らすと、被告人の刑事責任は決して軽くない。

他方において、本件わいろを供与してきた石油商は、国会議員を通じて被告人と知り合い、被告人を宴席やゴルフに誘い、地元に関西国際空港が建設されることを心情的に歓迎しており、しかも、被告人に対して個人的に好意を抱いているような態度を示した上、一方で、被告人に対して、前記のとおり、旅客ターミナルビルの清掃業務の下請業者の選定や関西国際空港における防犯用特殊ゴミ袋の使用について好意ある取り計らいを求めながら、他方で、被告人を宴席に誘い、接待の後、それとなく高価な金品を被告人に渡している。このように、被告人が、石油商からの誘いに対して次第に抵抗感を失い、わいろとなる接待や高価な金品の供与を受け入れてしまった背景には、石油商の巧みな接近策があったという事情がある。また、被告人は、運輸事務次官を最後に退官するまで長年運輸省に勤めて運輸行政に尽くし、その後関空会社の代表取締役として関西国際空港の建設やその運営に手腕をふるうなど、社会的貢献も認められ、被告人にとって有利に考慮すべき事情もある。

そこで、これらの諸事情を総合考慮し、被告人を主文の刑に処した上、その刑の執行を猶予することとした。

(裁判長裁判官 池田耕平 裁判官 山口雅高 裁判官 高橋彩)

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